剣豪の基礎知識
柳生連也厳包
このページでは柳生連也厳包に関する生い立ちや流派、そしてエピソードなどを記します。
柳生松吟庵について
柳生松吟庵といわれていますが、本名は柳生七郎左衛門重厳です。、印旛守家厳の弟にあたり、石舟斎宗厳の叔父になります。柳生松吟庵は頭を丸めて貞蓮法師と名乗り、柳生庄から南東1里のところにある舟生谷に住んでいました。そしてここの茶の湯では松吟庵と号しています。
柳生松吟庵という人物像
柳生松吟庵とはどのような人物であったのでしょうか。実は柳生松吟庵に関する話はきわめて少なくて、謎めいています。天正5年(1577)8月17日、信長に対して松永久秀が大坂の番城を引き払い、
信貴城にこもりながら信長を決戦を挑みました。そして久秀は「平蜘蛛の茶釜」を打ち砕き信長に送りつけて、
天守閣で自刃したのですが、「平蜘蛛の茶釜」は、
信長が喉から手が出るほど欲しかった物です。久秀は信長に対する最後の抵抗として、打ち砕いたものを送ったのです。しかし実はそれは偽物で、
本物は秀久の親友であった柳生松吟庵に密かに送られていたといわれています。、柳生松吟庵に関する話はとにかく少なくて謎めいた人物だが、
大和の人里はなれた居所で、ひそかに柳生一門の若者たちへの
修練に明け暮れた人のようです。
柳生松吟庵の晩年エピソード
柳生松吟庵は謎めいた人物で資料はほとんどありません。ほんとうに謎の多い人物であったようです。