剣豪の基礎知識
柳生宗矩
当ページでは柳生宗矩に関する生い立ちや、経歴、流派、エピソードなどを記します。
愛州移香斎の生い立ちについて
伊勢国出身の剣客である愛洲移香について紹介します。愛洲移香斎が生きた時代は中世末の戦国時代で、
世の中は混沌としていました。このような状況下で、伊勢の国の南部を中心として、
勢力を拡大していた豪族が愛洲氏である。この愛洲氏がいつ頃から伊勢の南部に勢力をもっていたかはよくわかっていません。愛洲氏は、三重県の度会町一之瀬を根拠地として、伊勢国司北畠氏の下で勢力を拡大し、
南勢町五ケ所へその中心を移し南勢町・南島町等を領有し、
集落の塩を支配することで経済基盤を固めたといわれています。そしてこの地域一帯を支配していました。
流派の来歴
長享二年(1488)諸国を遍歴し日向国鵜戸権現に参籠して剣法の達成を祈ったところ、
夢に神が猿の形となって現れ奥義を授けたと伝えられています。柳生宗矩のもう一つの伝説では、
鵜戸神宮の岩屋で剣の修業をしていると、蜘蛛が天井から糸をひいて下りてきたらしいです。このときに愛洲移香は、その蜘蛛の動きを見て、
陰流を編み出したともいわれている。以来武道の流派はこの陰流から始まることになります。
念流について
念流は足利時代の剣法の達人と言われていた相馬四郎義元が「念流」編み出したといわれています。そして愛州移香が「陰流」を当神宮に於いて、
御神示を受け編み出したといわれています。猿神前の末孫にあたる愛州移香は奥州の人とも日向の人ともいわれています。そして諸流を学んで足利義政時代に愛州陰流を広めた人物でもあります。応永十五年五月(1408年)五十八歳と伝えられています。没年は定かではない。